自"閉"症って自"開"症じゃねえの?(一人問答)
実感から得た疑問を抽象的に好き勝手に書き連ねるだけ。
(言いたいことはタイトル通りだけど自閉症というよりコミュ障の話です。)
『自分の殻に"閉"じこもっている(扉あけてよ)』『一人の世界に"籠ってる"(もっと素直になりなよ)』
といった感じのイメージ。
...逆では?
当事者的にはむしろ『開いてる(閉められない)から困ってる』のでは?
自己を部屋に例える。中にいる人間は自己とみなす。
しかし扉がぶっ壊れていたり、壁がなくなっているような状態。
もしくは目が悪すぎて壁や扉がみえない。
籠っていたくても中が大公開されている(気がする)し、他人も中にいる(気がする)ので自己と区別できない。
閉じているからこそ他者を他者としてはっきり区別してコミュニケーションできるのであって、開いてたら自分と他者の境界がガバガバになって意味不明ないらんことを言ったりやったりする。相手=自分だから。
それを回避するために物理的に自分を閉じ込める手段として引きこもる、黙るなどを選択するが、これも自己が開きっぱだからこそ素直に取れる非社会的な行動ではある。普通は社会の方を優先する。
要するに自他境界が曖昧なのだ。これは自他に限らず様々な物事の認知に関わる。
なぜ逆になってるんだ?
ただ、この発想も境界がガバガバだから出てきてしまったものではある。
言葉の1字(閉)から秒で連想ゲームをして『我々(コミュ障)は誤解をされている!! ムカつくからなんとしても訂正したい!!』みたいになってこんな文を書き散らすのはまあまあ正常ではない。扉が開きっぱなしである。
最近流行りのヒス構文と同じメカニズムである。たぶん病院に行ったほうがいい。
冷静に考えたら自"閉"症でも別に客観的に見た状態としてはその通りだから別に間違っちゃいないのだ。
でもムカつくから書いておく。
つまり壁や扉を再構築するか、メガネをかけたほうがいい。そんなに難しくは無い。
自分の状態を冷静に把握するためには必要...?かも
(自問自答)なぜオンライン面接がクソ苦手/嫌いなのか
そもそも面接自体が嫌いというのは置いておいて
・プライベート空間に侵入してくる
・★こちらも環境から色々整えなければならない(無報酬で) なぜ
・環境への対応で面接の応答だけに集中できない
・面接官が複数いた場合、対面のようにそれぞれの人毎に意識をクローズアップできない。ずっとカメラ視点の俯瞰で気が締まらない
・場の切り替えスイッチに環境や移動を利用できない
・いちいち発言タイミングに気を使う 対面だったら空気で行ける所を全部言語化しなければならない
・顔とか雰囲気で誤魔化せない
・いざという時にめった刺しにして殴打できない
・家にいるためか画面越しだからかわからんが建前がめちゃくちゃ出にくい。本音がボロボロ出る。演技ができない。
・面接時の話に限らないがラグの関係上発言者の話を一方的に聞く構図が息苦しくて嫌。こちらの発言に関しても然り。前職で社長が詰問する様子がフラバする
一番感情ででかいのは★への溜飲を下げられてない所か?
受かる可能性と面接経験への投資だと考えても何か納得がいかない。だって落ちるんだもん。リターンが遅すぎる。
あと総合して対面より超自発的に脳を使うことを強いられる(のはわかるが使い所がわからないのでメンタルを消耗するだけで終わる)
自宅PC=遊ぶもの、リラックスするものだと思ってるのも悪化を招いてる。
言語化を何とかすればどうにかなるか。けど急には無理だな。
事前に用意したところで的外れだし。
入社したい気分を高めといても「やりたいことありますか?」って聞かれるとビビるくらい急にギアがガクッと下がって思考速度が3分の1くらいになって前向きな言葉が出てこなくなる。その状態でなんとか周囲のそれっぽい言葉を拾って発言するしかなくなる。異業種ならならないのかな...? 同じ業界だとシビアに判断されてるのすぐわかるからもうだめだ。
前の会社に戻るのはなし。まあ他の会社、業界を経験してやっぱ一番あそこがマシだったとなったら土下座して勉強し直してその手に出るしかないが(受け入れてくれる望みは薄い)
というか準備足りなさすぎだな。したけど考えたくない(考えると気分が落ちそうだった)所は無意識にスルーしてたわ。怖
急かされてたとはいえ本番に突っ込む前にハロワとか適当なバイト面接とかで模擬練習をするべきだった。昔の自分ならそうしたんだけどなあ
イメージ力も大事なのか?多分画面越しそのままではなく対面面接のようなイメージを脳内に持ってVRの如く挑むべきなのか??
この場合自分の顔が邪魔なんだよな。ずっと鏡みてキメ顔してる時の気分になっちゃうんだよ。かといって不具合で変な写りになってるのを確認できないのは怖いし、めんどいなあ。
足を運ぶけど頭はあまり使わない労力より画面上で頭使いながらちょこちょこ対応する労力の方がしんどいんだよな。(かといって肉体労働は向かない)
まあ総じて同じ労力量ではあるのか。やはり頭の体力を鍛える方法が必要...
あと配信とかできる人は多分得意なんだろう。
練習で配信者になってみるしかないのか...???
連想ゲーム式フラッシュバックへの対処
〜といえばで連想ゲーム式にフラッシュバックしてしまう、好きだったものもこれのせいでできない、見れない時の対処法。
趣味を仕事にしたら趣味ができなくなったなどにも使えるかも。
・ことの流れ
①映画を見た。面白かった。
②転職活動中で面接があり、話の流れでその映画について話した。
③その話もそれ以外も面接は色々と上手くはいかなかった。
④その日以降、その映画のことを考えたり観ようとすると瞬時に面接の発言を後悔するフラッシュバックがおきてしまいその映画を視界に入れられない
好きなものにべったり張り付いた嫌な印象や記憶ほど忌々しいものはない。
フラッシュバックの本質は別記事のベストを尽くしたか論もあるんだけど、いつも尽くせるとは限らないし今回のこれは別問題。
多分生来のびびりが原因か、1点にこだわりすぎてアスぺと思われたくない故か、予防線として思考を広げやすいようにする癖がある。要するに思考のブレーキが効かずすぐに連想ゲーム状態になりやすい。特に人と話した情報は基本重要情報なため、
『この映画ってあの時話したよね?! 失敗したしついでに考えといた方がいいんじゃないかな?!』
という頼んでもない指示が脳から飛び即座に受理されフラッシュバックする。本来考えたかった楽しい映画の内容は永遠に処理待ちのまま暗闇に沈黙している。
これが
①消火器が視界に入る→②消火器といえばガスの火止めたっけ?!
であれば危機管理として非常に有用なんだが、常に発動するのはストレスになるだけでなく人生の幅を大幅に狭める。不毛。
対処法は抽象的だが『連想しそうになったら思考のピントを絞る』
( ( (○) ) ) → ◯。○ ◯。
↑周りの派生部分も大事なことではあるが、別問題。それはガスの火のような緊急事態ではないので連想する必要はない。考えたいところだけを考えたいように考える。楽しい記憶を楽しく無かったことにする必要はない。連想した記憶と境界を溶け合わせずに、別個の形を保つ。
連想ゲームは緊急時に必要なこともあるので派生しそうになるところまでは止める必要はないが、緊急性だけ判断した後ピントを絞り、思考を切り離して本来の目的に存分に集中する。
映画が面白いと思った時の自分と、面接で話した内容は別物。
エンタメを好きだった/好きな自分と、エンタメで仕事をしていた自分と、エンタメを趣味で作る自分と、どうも合わなかったエンタメ業界の人間は、全部別。
というかこれ強迫性障害の一種では???
思考袋
q
私は元々比較的褒められて育った自己肯定感カンスト人間で、今も根本はそうなのですがこの性格+社会常識が平均より欠如した状態で社会に出たところ初めての怒られイベントの衝撃で自分の認知と社会への信頼が足元を見失い落下→元々自尊心が高かった分高低差が大きく文字通りギャフン!となってしまいました。後遺症が残った感じになっています。アキレス腱が断裂したら治っても支障が残るみたいな感じです。
わかりやすく?言うと何に対しても必要以上?にネガティブな想定をしてショックを受けないようにする癖がついてしまいました。根がポジティブなのは変わらないのですがとにかくまたびっくりして絶望状態になりたくないので、自分の足元をなるべく低くしておきたいのです。(元々が謎に高すぎるので適正位置ではある)
多分そもそも自己認識力?が低いと言うか、客観性に欠けているのが原因かもしれません。中高大と面倒を避けてほとんど所謂ぼっち状態で過ごしてきて、多少の部活等以外は人生経験に乏しい人間なので、その辺りが成長できていない感じがあります。
あと子供時代に大人からもらった存在への肯定と自分の実績から得た社会からの肯定は別物だと思うんですが、なんですかね、うちだと顔面が良いとか父親がいい大学だからお前も頭いいとかセンスがいいとか、生まれ持った資質をまず褒めちゃう傾向があったんですが(別に悪い気はしない)、もっと良い家庭だと本人の努力とか過程をでかい物差しを持ち込まずに上手い事褒めて伸ばすんでしょうね。程よく現実を教えつつ。別にそこまで悪くない家庭環境ではあったんですが。
とにかく、この足元をいちいち下げる予防線張り癖のせいでネガティブになりすぎて動けなくなるのはどうしたら改善できるんでしょうか。高低差を補完する厚底靴でも履いたらいいのかもしれませんがそれはそれで捻挫したりつまづいたりしそうです。
目的意識がないから足元がふわふわ定まっていないと言う説もあります。どこにいつ着くか決めてないし分かってもいなくてぼーっと足を動かしているから、急に段差が大きくなった時に対応できていないと言う説です。これかもしれません。
a
というかこんな風に机上で抽象的に書き散らしてから現実へgoするところからそもそも間違ってる気がする。
あと自己肯定感とか以前にびびりなのは多分生まれつきだから、単に生まれてこの方それを乗り越えられてないだけでは?我が人生の宿命では?
そこまで現実を鮮明に直視しようと思わないでも良いような気もする。
多分音楽で得た「本番ステージの規定時間内に全力でやり切ったことが全て(100%)」みたいな社会的に健全な感覚が美大で「時間を他人より捻出してゴリ押ししてでも自分の思う100%を出してないと全力でやってない」みたいな社会に通用しない方向に捻じ曲がったのも原因かな。時間の裁量を与えられた途端おかしくなった。時間と能力は変えられないから目標レベルまでのスキルアップのやり方を効率的にするしかないんだよ。
それで何度も本番の出来が絶望的だったらレベルを落とすしかない。
美大でゴリ押しがある程度通じてしまったからややこしくなった。(自業自得)
でなんだ。つまり多分高校までの認知は思ってるほど間違ってはないから、足元は元々大体適切な高さにあって、怒られで落ちた先も多分そんなに低くはない。ただ受け身のスキル不足で勢いづいたので衝撃がデカかっただけ。多分。
変に足を踏み出す高さを低くするより普通に歩けばかえって転びも落ちもしないのでは。抽象的〜 それで引っかかるようだったら登山スキルが足りない?ので効率的なトレーニングなりでスキルアップするしかないのでは。
多分そういうもの。
よくわからん。昔からこういう思考の整理は文章じゃないと無理。
そもそもこれに2時間かけてる時点でゴリ押しなんだよな。
一人反省会の真意
他に対してなんかしたり喋ったりして帰宅後、急にフラッシュバックしてすべてが台無しになる時の対処法覚書。
・その場のその時点でのベストを尽くす
いつぞやの阿部寛みたいだな
反省会自体は悪い事じゃないんだけど、際限がないのは不毛でしかない。
twitterとか繊細(自称)人向けリールのコメ欄によく出てくる「一人反省会」これ絶望を知らない無敵学生の頃はあんまりなかったんだけど、社会人になってからひどくなってどうしたもんかと思ってた。
結局私の場合、後回し癖が根本的原因なんだよね。コミュニケーションまで後回しにしてしまう。後で取り返すからとりあえず、であんま考えられてない適当な言葉や行動を相手に投げちゃう。けど実際には適当な球を投げてしまった事実は消えることはなく、そこだけ自分にも相手にも印象づいてしまう。相手のことナメてんだよね。
そこで"ベストを尽くす"が必要になってくる。とは言っても『気合を入れる』とかそう言う話ではない。何をしたところで頭の回転力やら対応力は変わらない。
『自分の現状の能力範囲内でできる事をすべてやったか』を評価基準にしてみる。そうすると比較的客観的に反省会できるし、次同じようなシチュエーションでなくても評価軸が"自分のベスト"なので混乱せず後回しにせず"ベスト"を尽くせる。
(ベストが多すぎてアホみたいだがほんとにそう)
よくわからん「コミュ強」って他者の概念が一番いらん。
「トロい」「ノロい」「遅い」の対処法覚書(リズムの所感)
自分用
・「急げ!!」って言われても急げない。急ぐと乱雑になり疲弊する(怒ってる?と言われる)
・マイペース(京言葉)と言われる。
・なぜか人の倍作業に時間がかかる
といったトロい設定の人間なんだけど、なんかこの感覚というか概念が今までなかったなという覚書。なお超感覚的な上全然纏まってはいない。
(以下動作=『皿洗いのスポンジひと擦り』とか『仕事中のマウスワンクリック』とか日常で行う動きの割と小さめな単位)
・人間は割と音楽的なグルーヴで生きている。(仕事歌の発想※)
・一定の"リズム"で動作を行う。"テンポ(bpm)"は変えない
・1動作を”速く”ではなく”短く”する。(♩→♫) かける力は変えない
リズムを圧縮すれば動作のクオリティを保ったままタスクが早く終わる。
※仕事歌=ソーラン節(?)とか田植え歌とか地引網引く人のやつ。仕事しながら歌ってたっていう民謡。メンタルケアとかのためかと思ってたけど、リズムをそろえて効率化&負担を減らす面もあったのかな。
多分チャキチャキした人は締め切り時間までにタスクを終えるための"リズム"を無意識にある程度逆算してから動いている。ノロいと急げって言われても♩→♫にする発想がないから無理矢理テンポを速くして疲弊して爆死する。
これがノロさの全ての原因ではないけど、一因ではあると思う。
音楽20年近くやってたしリズム感もいい方だけど、この理論だと私は日常動作にまったくそれを応用できてなかったらしい。
逆にチャキチャキしてるけど音楽だとリズム感△な人は、こういった日常で無意識に使ってる身体的なリズム感を応用できてないのかな。
これをさらに応用すると、ピアノを両手で弾くように複数の作業をある程度並行できそうな気もしているけど、流石に気のせいな気がする。
あとこれ偶にある体感時間が速い時、ノロノロビームでも浴びたのか?!ってくらいなぜか速く動くのがクソだる重い時はあんま効果ないかも。
ちなみにこんなこと考えるようになったのは、英語と日本語のリズム感の違いを知ってから。推しvのために英語学習動画ぶん回してたらがっちゃんさんの解説にぶち当たりなるほどとなった。